おひとりさま起業倶楽部

突き抜けた才能はない。何かを極めた訳でもない。だけど、自由に生きるために起業したい!

自分から目をそらさない

今日、とっても羨ましくて、とっても悔しい事がありました。

それは、「大切な友人が自分のやりたいことに向かって一歩大きく前進した」という、本来は喜ぶべきことでした。

グループラインでその報告を受けたので、通知画面で他のメンバーの反応を見てから、書き込みました。

「すごいね!前進してるね!」って。

「ずるいよ、悔しいよ、羨ましいよ」っていう一番最初に浮かんだ言葉は書き込まないで「すごいね!前進してるね!」って書き込みました。

どっちの気持ちも、嘘じゃないんです。もし、私が今「前に進みたい」ってこんなに切実に思っていなければ、きっとするんと「すごいね!前進してるね!」っていう言葉だけが出てきたのだと思います。

でも、じゃぁ何で「ずるいよ、悔しいよ、羨ましいよ」って言葉を飲み込んだのかって、私は自分でわかってたんですね。彼女が前進できて、私が前進できないでいる理由を。

彼女が前に進もうと決めたのは、私とほぼ同じ頃でした。けれど、彼女の方が私よりずっと早くブログを始め、彼女の方が私より多くの人に聞こえるように自分のやりたい事をリアルの世界で口に出して言っていました。私は誰にも言わずにこのブログを立ち上げたけれど、彼女はみんなに言って書き始めました。そして、毎日書いています。

違いは明らかです。彼女は「ただ、やった」のですね。

 

やってない私には、彼女を羨んだりする資格がないと思ったのではありません。「そんなこと言ったって、お前はやらなかっただろう」という言葉を言われたくなかったのです。きっと、私が「いいなー、羨ましい!」とグループラインに書いたところで、誰もそんな事は言わないと思います。でも、私の心の中では、誰かがずっと「やらかなかったお前にそんなことを言う資格はない」と言っている気がするのです。

 

今までの私ならば、この気持ちを抱えたまま、何日間も過ごして、別のことに気を奪われるのを待っていたと思います。けれど、私は前に進むために変わらなければならない。どうしよう?

私にしては珍しい事ですが、恋人にラインをしました。こんな経緯があってね、ああでね、こうでね、と。一文送る毎に「うん」「うん」と返事が返ってきました。事のあらましを話し終わった後、最後に、「羨ましくて、悔しいの」と打ちました。

たぶん、こんな気持ちを人に打ち明けたのは初めてだと思います。恋人は、私を励まそうとしてくれました。けれどそうすると、自然と「彼女はやった、自分はやらなかった、それだけ」という言葉が出てきました。そして「私もやる!」という言葉も、自然と出てきました。「やらなきゃ!」じゃなくて「やる!」と。

 

ずるい、羨ましい、悔しいと思う事は、これからもずっとあるでしょう。私はそんな気持ちを良くないものだと思っていました。それと上手く付き合うということは、「駄目な」自分を受け入れることだと思っていました。けれど、今日、なんとなく感じたのは、こんな気持ちを抱く私は「駄目な」人間ではないのではないか、ということ。

ずるい、羨ましい、悔しいと感じることは、「駄目な」人間だからではない、普通の人間だからじゃないか、と。

必要なのは、「駄目な」自分を受け入れることではなくて、自分から目をそらさずにしっかり見て、その輪郭をしっかり把握することじゃないか、と。

自分が「駄目である」前提でずっと考えていたけれど、実は普通なのじゃないか。そんな風に思わせてくれた出来事でした。

 

ずるい、羨ましい、悔しいという気持ちになりつつも、彼女に起こった「良いこと」を一緒に喜びたいと思える友人、素直に気持ちを話してみようかなぁと思えた恋人、私にはものすごいものが「ある」なぁ、と今更、この文章を書きながら気づきました。おせえよ。

 

ところで、この友人たち、本当に素晴らしいのですよ。なんていうか、マーベラスなんです。いつかご紹介したいものです。