個人にもブランディングが必要
SNSが日常に溶け込んだことによって、個人のブランド化が進んでいますよね。私はあまりテレビや雑誌を見ないのですが、初めてGENKINGさんの存在を知った時には、ブランディングの威力と彼の能力にひれ伏す気持ちでいっぱいでした(そしてインスタグラムをフォローしました)。
最近、本当によく耳にするようになったブランディング。私は全職場で企業のブランディングに係わっていたものの、プロジェクトチーム自体が手探りで進んでいた状態なので、きちんと勉強したことがないのです。「たぶん、こういうことだよね?」という感じで仕事をしてました。よろしくない例ですね(しかし、業界内では道内で5本の指に入るくらいの受注数まで成長したのです。がむしゃらにやれば、ある程度どうにかなるんですね)。今こそ、きちんと勉強しなくてはなりません。
ざっくりと「こういうことだよね?」という感じで言いますと、ブランディングとは「客観的な共通のイメージ」と「物ではない価値」を作ること、です。
例えば、スタバの「客観的な共通のイメージ」は「おしゃれ」「都会的」「大人」「リア充」(笑)とかではないでしょうか。スタバに対して「田舎」というイメージを持つ人はいないでしょう。もしかすると、スタバの「中の人」にとイメージはまったく違うのかもしれません。しかし、ブランディングで作るのは「客観的」な共通のイメージです。これは「ユーザーから見た」共通のイメージと言い換えることができますね。
さて、では「物ではない価値」の方ですが、いわゆる「スタバドヤ」とかがそうですよね。「たまにはカフェで仕事☆」というコメントが添えられている写真。その中のmac bookの隣にあるのはスタバのカップでなくてはいけません。ロッテリアのカップでは「ドヤ」感はないですよね(ロッテリア大好きですが)。これが、物ではない価値です。確かに、フラペチーノは美味しいです。これは「物の価値」。そうではなくて、いっそカップの中身は持参のお茶でも水でもいい、だけど場所とカップはスタバじゃなくてはならない。これが、「物ではない価値」なんですよね。
同じことが、個人にも必要になってきます。実は意図しなくても、SNSの中では個人のブランディングは行われているんです。その人の元々の持ち味として、投稿を見ている人はある程度の共通のイメージを持ちます。毎日子供の写真をアップしている女性が2人いたとして、片方には「おっとりとしたやさしいお母さん」のイメージを、もう一方には「元気いっぱいパワルフ母さん」のイメージを持ったりします。これは、その人がどんな写真を撮っているか、どんなコメントを付けているかによって決まっていきます。
「どんな写真を撮っているか」は、どんな場面なのかはもちろん、写真を加工してからアップしているのか、どんな加工なのか、枚数はどれくらいか、などなどなどなど本当に小さな色々なことの集まりです。
「どんなコメントを付けているか」も、文章の長さ、漢字を多く使うか、ひらがなを多く使うか、!は使うのか、文末は「ですます」か、子供の名前を出すのか、などなどなどなど一文字一文字がイメージに繋がります。
これらが集まって、客観的なイメージが作られていくのです。
つまり、逆から言うとこれらを意図的に行うことが、ブランディングするということになるのです。
と、ここまで書きましたが、びっくりするくらい気持ちがわるくなってきたので、ここでいったん切ります。