おひとりさま起業倶楽部

突き抜けた才能はない。何かを極めた訳でもない。だけど、自由に生きるために起業したい!

「死にたい」と「生きたい」の壁

普通に仕事をして、普通に生活していますが、うつの治療で月に2回、病院に通っています。全職場で休職をしたのが5年前ですから、もうずいぶんと経っています。今の会社の人は、誰も私がうつで休職していたことを知りません。それくらい、「普通」の状態なんです。傍から見ると。

けれど、私の中では「休職前」と「休職後~今」では、何もかもがはっきりと違うんです。その大きなものが、「死にたい」と「生きたい」の壁だと感じています。

 

私のイメージの中では、「死にたい」と「生きたい」は1本の横軸の両端にあって、その真中に壁があります。その壁は薄くて透明で簡単に破れそうなのに、実際はビクともしない。生まれてから休職前までは、その壁の右側、「生きたい」の方に居ました。そこに居ることを意識もせずに。そして、壁の向こうの「死にたい」の方にいる人たちを不思議な気持ちで見ていました。

それなのに、ふと気がつくと私は「死にたい」の方に居たのです。いつの間に壁を越えたのか、どうやって越えたのかはわかりません。それまでは「死にたい」なんて気持ちは理解できなかったのに、いつのまにか心の中は「死にたい」ばかりになっていました。「早く死にたい」「死ぬから許して」と思っていました。

ただ、私の頭は自分が死ねないことも理解していました。人が自分で死ぬのはとても難しい。うっかり成功するか、瞬間的にでも絶望がMAXにならないと死ねないことを知っていました。私はまだ、母の顔が浮かぶ。恐怖がある。だから死ねない。こんなに死にたいのに、死ぬにはまだまだ絶望が足りないのだと思いました。これからの人生は、今以上に辛い思いをして絶望を集めて、少しずつ死に近づいていこう、そう決めていました。そうすれば、いつか絶望がMAXになって死ねる、と。

 

幸い、私のうつは比較的軽いものだったので、徐々に仕事にも復帰し、普通に生活が送れるようになっていきました。今は薬も飲んでいません。けれど、私はまだ「生きたい」の方に行けてはいない気がするのです。四六時中死にたいと思っているような状態ではありませんが、疲れがたまったり、ストレスが溜まると「生きるの嫌だな」と思います。たぶん「死にたい」の側で壁に背中をぺったりと付けた状態でいるのかな、と思っています。今でも、瞬間的に気持ちが落ち込むと「死ぬから許して」と思います。

 

今通っている病院が私に合っているようで、そこで治療を始めてからは気持ちが落ち込んでも立ち直るのが早くなっています。また、自分が落ち込むスイッチは何によって入れられるのかということも、だいぶわかってきました。

それでも、もう休職前の自分には戻れないのだと思います。けれど、休職前の自分は20代です。うつにならなくても、33歳の自分はあの頃と全く違う人間になっていたでしょう。ある日、ふとそれに気付いてから「戻る」ことを願うことはなくなりました。今は何があっても「死にたい」という思いが頭をよぎらないようになることを目指しています。

 

 

なんだか暗い話になってしまいましたが、ここ数週間、ものすごく疲れている気配がするのです。加えてスイッチが入りそうになる出来事もあって、半ば自衛の為にこの記事を書きました。