おひとりさま起業倶楽部

突き抜けた才能はない。何かを極めた訳でもない。だけど、自由に生きるために起業したい!

自分の時間を自分で使う

道東巡業へ行ったり、札幌にいてもハローワークへ行ったり病院へ行ったりと、「やらなければいけないこと」って意外に毎日ちょこちょことあるんですよね。しかし今日、かなり久しぶりになんにもない日だったんです。図らずも、本日は私の誕生日で。しかも土曜日、たいていの人はお休みしています。だから「今日は土曜日だし、誕生日だし、何もしなくてもいい日にしよう」と思い、ほんっとうに何もしませんでした。食事、ネットサーフィン、昼寝、以上。

しかしです。

別に誕生日じゃなくても、土曜日じゃなくても、何もしない日にしてもいいし、遊びまくる日にしてもいいし、そんなの自分で決めていいんですよね。

 いやいや当たり前でしょって思うかもしれませんが、私はこれについさっき気がついたんです。というか、気がついていないことにさえ気がついていなかったというマトリョーシカ構造。

これはもう無意識に近い状態で「自分が持っている時間-仕事をする時間-人のために使う時間=自分が自由に使って良い時間」と考えていたのです。もっと言うと、仕事をする時間と人のために使う時間を持たないと、自分が自由に使って良い時間を持つ資格がないと思っていました。文章にすると「そんな莫迦な」と思いますが、仕事を辞めてゴロゴロしたり好きなことだけをやることに後ろめたさを感じるのは、こういう考え方が自分の中にあったからですよね。自分が持っている時間をどう使うかと考えた上で、誰かのために使いたいと思ったり、仕事に使いたいと思ったりするというのが健全な順序なはずです。

仕事は自分で選んだ会社に勤めていたとはいえ、勤務時間は決められたものだし、家のことをするのも母の状況を見てだし、「自分が持っている時間-仕事をする時間-人のために使う時間=自分が自由に使って良い時間」というのは、ものすごく受動的な時間の使い方ですよね。私が会社を辞めた理由の一つが「時間を自分で管理させてもらえない」ということ。それほど自分の時間を自分で使いたがっていたのに、頭の中はものすごい受け身だったんですね。

 

さて、では、明日からは自分の時間を自分で使えるのかというと、なかなか難しいと思うのです。というのも、「自分は自分の時間をどう使いたいと思っているのか」ということが、いまいちよくわからないからです。これもまた「そんな莫迦な」って話ですが、私は自分の思考(主に思の方)がよくわからないのです。自分が本当は何を望んでいるのか、それに対してどう思うのかというのが、よくわからない。

 

時間の使い方、好きなことをやるということ、自分を知るということ、生きるということ。これらを今まで分けて考えていました。全部がつながっていることは理屈としてはわかっていたのですが、実感してはいなかったんですね。それがやっと、「あれ?全部繋がってるね?一つだけ考えてもダメだね?」と気付いたんです。遅い。遅いけど、残りの人生で今が一番早いので、まぁ、気付けてよかったねということで。会社を辞めるといろんなことに気づくんだなぁ。