おひとりさま起業倶楽部

突き抜けた才能はない。何かを極めた訳でもない。だけど、自由に生きるために起業したい!

オタクとエログロナンセンスと女子力

エログロナンセンス」という言葉がありますね。専門学生の頃に良く親しんだ(?)言葉なのですが、今日、久しぶりにこの界隈に足を踏み入れました。

「陰鬱旅団展 北海道篇」という展示を見てきました。病院の近くのアングラギャラリーでやってたんです。というか、アングラギャラリーっていうのがあるのを初めて知りました。会場は、本当にアングラ感満載のNECCOというギャラリー。(1階にあるビアバーのようなお店に興味津津。今度行ってみよう)

 

さて、エログロナンセンスと女子力について思う所があったので、書いてみます。

 

展示を見た後、会場から出てすぐ、私のオタク友達グループラインでこの展示の話をしたのですが、「エログロナンセンス」という言葉を初めて知ったという友人が一人いました。キャロライン(仮名)としましょう。キャロラインは、可愛いもの大好き、オタク友達の中で(そして私の知り合いの中でも)女子力最強の女子力先輩です。恋愛先輩でもあります。とにかく外身も中身も可愛い。オタク会で唯一の既婚者です。でもオタク。飽くまでオタク。

そんな、彼女が「エログロナンセンス」という言葉さえ知らなかったということに、私は妙に納得したのです。「だから彼女は女子力先輩なのだ」と。

 

私は、女子力が低いです。地面を掘る勢いです。女子力が高い人間になりたいとは思いませんが、アクセサリーというか、装備としての女子力の使い手にはなりたいと思っています。出し入れ自在、みたいな。たぶん、頑張ればある程度はいけると思うんです。けれど、真の使い手みたいには、きっとなれない。

それが何故かというと、女子力と相性が悪い「もの」や「こと」を、女子力を減じる掛け合わせで知ってしまっているから。別に「エログロナンセンス」を知っていても、女子力が無くなるわけではないです。共存はさせられます。けれど、キャロライン程、純度の高い、神々しいような女子力は保持できないでしょう。赤ちゃんが一番純真無垢だというのと似てる気がします(実際に赤ちゃんがどうなのかはわかりませんが)。

「知る」ということは「得る」ということなので、何かを「失う」ということでもあります。女子力に限った話で言うと、「知る」ことで女子力が失われていく「もの」や「こと」があるのでしょう。女子力がピラミッド型になっていて、上に行くほど純度が高くなっているとしたら、下のあたりから失われる「もの」や「こと」がある一方で、最上部の「極上の一滴」みたいな部分を失う「もの」や「こと」もある。「エログロナンセンス」はそれを知る代わりに「(女子力の)極上の一滴」を失うのではないだろうか。

他のオタク友達だって女子力はある。が、キャロライン程ではない。キャロラインの女子力は嫌味がない、清々しい女子力なのだ。なかなか持っている人はいない、奇跡の女子力保持者なのだ。キャロラインは別に物を知らないタイプの人間ではない。ふんわりしているけれど、頭がいいし常識的だ(オタクだけど)。だけど、知らなかった「エログロナンセンス」。「エログロナンセンス」を知らなかったことも奇跡のようだ。

奇跡の女子力は奇跡の情報回避運(なんだそれ)があってこそもたらされるのかもしれない。