「私なんて石ころ同然」…まずは石ころの自覚を
さて、前回の続きです。
人はみんな「存在しているだけで素晴らしい」。例として、人はみーんな半貴石だったとして。
さて、本当は半貴石なのに、自分なんかう○こだと思ってしまっている人に、手を差し伸べてくれる人がいたとします。自分ではうん○だと思っていても、本当は半貴石なので、手を差し伸べている人は何も特別な人ではないんですね。友達だったり恋人だったり家族だったり。別にゲテモノ好きじゃない。どう見ても、どう考えても普通の人。それか、○んこにとっては普通より素晴らしい人に思えるかもしれません。
う○こはどうしてそんな人が自分に手を差し伸べてくれるのか、さっぱり理解できません。憐れみなのか、一時の好奇心や気まぐれなのか、それか本当にゲテモノ好きなのか。理解できないので、その好意を疑ったり試したりします。「ほら、やっぱりうん○なんて嫌いなんじゃないか」という言葉を片手にしっかりと握りしめたままで。
でも、手を差し伸べてくれる人は、○んこが大好きなんです。だから、言葉を尽くして気持ちを伝えるし、落ち込んでたら励まして、つらい時は一緒に泣きながらそばにいてくれます。
そうすると、う○こはだんだんと「この人は自分を受け入れてくれるんだ」とわかってきますよね。その時、自分を受け入れてくれる理由をどう受け取るかって、かなり重要になってくるのではないでしょうか。
「あなたは自分をう○こだと思ってるみたいだけど違うんだよ。よーく見てごらんよ。あなたは○んこじゃなくてシトリンだよ」と、うん○の正体を納得させてあげられれば、信頼で結ばれた良い関係になると思うんです。
しかし、そうではなくて、「私はあなたのいいところも悪いところも全部受け入れるよ。例えあなたがう○こでも私はあなたが大好きだよ」と、「自分はうん○なんだ」という考えまで含めてまるっと肯定してあげたなら。そこから先は、○んこはその人に依存していくことになるのではないでしょうか。
「う○こを好きだって言ってくれる人なんて、この人意外いない」「だけど、うん○はある意味特別な存在だ。自分が○んこらしいう○こじゃなくなったら、この人は去ってしまうのか?」「そもそも、本当にうん○が好きな人なんているの?」そんな思いのループになってしまう。
でも、「う○こじゃないよ、他の人と同じ価値の半貴石だよ」ということに気付ければ、もしその人が去ってしまっても、また別の人と新しい関係を築くことができる。
「自分はう○こだ」と思ってしまっている人がいたら、その人を丸ごと受け入れることも大切だけれど、「本当はうん○ではない」ということに気づかせてあげてほしいのです。これは、丸ごと受け入れるよりも大変だと思います。
私も、まだ納得はしきれていませんが、理屈としては理解しています。どんな色なのかはわからないけれど、私だってきっと半貴石なのだ。「自分だって、存在しているだけで素晴らしい」そんなふうにはなかなか思えないけれど、私を大切にしてくれる人たちの声を聞いて、自分の気持ちに耳を傾けて、自分はどんな石なのか、自分の輪郭を探っていきたいと思います。
落ち込んだ時に「私なんて石ころ同然」と思えるように。まずは、石ころの自覚を。